2/6 に、私と上橋氏がティシに移動しました。川上さん、小峯さん、そして7日に合流する山本さんが、チャド湖周辺のバカズーラへ移動します。彼らは、街灯や電源設備の指導を担います。実際は、ご多分に漏れず、資材が未到着で、悪戦苦闘したとの事。今回の私からの報告では割愛させてもらいます。
さて、ティシは、大変な事になっていました。賃金を巡って、組合リーダー・IOM現地スタッフ(以下Rと表します)と、これまで製作と活動の実質をになって来た若手の女性達4人(Y4と表します)とが、対立し、Y4が女性センターに来ていない事態でした。12月末から2ヵ月続いているとの事。
今までY4達には5000セーファ、研修生たちには2500セーファを支払われていました。これを一律に2500にしたとの事。2500と言うと、日本で言う最低賃金のラインをかなり割り込んでいる水準でしょうか。5000だと、まあ子供を育てられる額かなあ。
技術指導者の手薄の中、Rたちは活動を維持するために400名の組合員に、太陽電池のつくり方研修を続けて来ました。確かに、出来上がった太陽電池の質は悪くなっています。
割れたものも転がっていました。展示会でも2枚製作した中の一枚は不良品でした。このままでは組合は自立のためのビジネスを開始する前に、内部金を食いつぶして解散してしまうでしょう。
この日から、ティシを離れる前日2/8日の夜まで、IOM現地スタッフで女性組合の担当のアハマッド氏と、ずうっと議論が続きます。Rの主張は「Y4は全員に技術を教える義務があり、賃金は平等で良い。仕事がしたかったら、Y4が来るならば拒む事は無い」かたやY4は、「自分たちの技術をきちんと認めて欲しい。2500では子供も育てられない。自分たちは仕事がしたい」です。事業を展開する上で常につきまとう典型的な労使問題ですね。また、緊急支援事業として始まったこの事業が、自立・持続を目指す事業に切り替わる、ちょうどそのど真ん中にいると言う事ですね。緊急支援は平等の分配が、是です。しかし、それでは、ビジネス事業は出来ません。女性組合が、どちらに行くのか、問われていると言えます。
ところで、女性組合のビジネスチャンスはとても大きなものになりつつあります。この事に組合のリーダーたちも、Y4のメンバーも気づいていませんでした。
充電ビジネスは大成功していました。太陽電池の発電で携帯を充電するビジネスです。一日50件、100セーファ/回の料金を取っています。
これは、そのまま太陽電池システムの販売につながります。100×50×365でいくらになるのか、計算してもらいました。180万セーファになります。この数字に、リーダーたちはかなり衝撃を受けたようです。近隣の集落にこのシステムは、かなりの台数販売出来ると言う事です。この他にも、いくつものビジネスの話をしました。私も、話しながら、自分は詐欺師になのかなあ、と自問自答。
また、IOMが支援を切り上げた後の動きは、IOMチャドを中心に着々と進められていて、それなりの政府機関の支援が期待出来る状況になりつつあります。
要は女性組合は、自立・持続のための仕事をやるつもりならば、かなりのチャンスがあると言う事です。そのための組織に切り替わらねばならないと言う事です。
組合のリーダーたちへのビジネスの話の後、Y4のメンバーに会いに行きました。事情聴取と言えば聞こえは良いですが、懐かしい面々のご尊顔を拝したくて、出かけました。3人集まりました。みんな、赤ん坊づれです。旦那も顔を出すなかなか、いい雰囲気でしたよ。
さて、ずっと継続していたアハマッド君との討論についてです。
どうやら、彼が、賃金平等論の発信地のようでした。かたくなに、400名の組合員の支払は、等しくなければならない、を繰り返します。支援事業を遂行するには正しいのでしょうが、それでは現実的に組合は消滅します。ポリシーに自分の生き方を定めるのは美しい事かもしれませんが、それにより、豊かな夢や希望、現実が削ぎ落とされて行く。どこの国にも、いますよね、このタイプ。
最後の最後、イスラムのお祈りの後、ようやく、Y4とRとの間を取り持つ事を約束してくれました。
いやあ、のどがからからでした。ゴメイサツ。ビールがうまかったですよ。
3月始めの展示会に我々が、自腹を切ってでもンジャメナに行く価値があるや無しや。この後の事に関しては、又これから報告になりますね。