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外仕事
残念な事に、私は冒険旅行に行った訳ではないので,休んで入られません。残された滞在期間は,19日まで。2/16、早々に,仕事をはじめます。と言っても,先陣の4人,川上さん(この日は,私との入れ替わりの形で帰途に)、森君、武田草ちゃん、水生君、がすでにきちんと形をつくり上げてくれていましたから,私はただ,最後の形を決めるだけです。手作り太陽電池は,草ちゃんと水生君がほぼ完璧に12人の女性たちへ、太陽電池の組立て方を伝えていました。私の出る幕はありません。他方,13人の男性陣,街灯を中心とした外仕事は,一人,森君が取り仕切っています。言葉も通じない中,暑さの中で,大変だったでしょう。ご苦労様です。私は,外仕事のお手伝い。
まずは,事務所の上に固定されずにあった太陽電池の固定です。これはすぐに諦めました。事務所は,中に断熱材の入ったパネルを組んだプレハブです。屋根への固定方法はありません。屋根の上から眺めると,資材を送った梱包材木が放置されたまま。それを使って木製架台を作り,事務所の前に取付けました。
この日,ついに、街灯が点灯しました。歓声を聞かせたかったです。この写真は2/22に乗せてあります。私も嬉しかったですが,森ちゃんの胸中やいかに,ですね。
17日は,充電ビジネス。これも,梱包資材でBoys(男性陣をこう呼んでいました。ちなみに女性たちはgirls)たちに作ってもらいました。完成するとすぐに,携帯の充電器が5個口のコンセントを占領。実はこのシステムこの3倍の15台の携帯をつないでも大丈夫として,設計してあります。女性組合の良い仕事になりますね。
  ***私が帰国する前の23日に,開業のセレモニーが行なわれたとの事。嬉しいです。



18日は,街灯のバッテリーとコントローラーを収納するBOXの検討でした。はじめは首都のンジャメナから運ぶ予定でしたが,ティシの市場で川上氏が、一斗缶と思われる鉄板をたたいて作る鍵つきのBOXを発見していました。これをベースに形を決めました。雨と,熱の逃がしに気を使います。私が深夜,寝ながら考えたアイデアですが,Boysたちが何やら討議をはじめます。自分たちのアイデアで,もっと違うかたちで模型を作ると言う。全てに対して,熱心で,積極的です。嬉しいですね。
模型を作製している写真です。



この模型を元にして、バッテリーBOXをオーダーしました。

翌19日木曜日,本来ならば週に一日の休み。市場の立つ日です。私としては,どうしても市場ブラをしたいのですが,ないても笑っても,今日だけ。女性センターの街灯にティシのbpys達とboxを取付けました。南部のboysたちは,彼らの希望により手作り太陽電池の講習です。



手作り太陽電池の完成写真です。

市場に出かけられたのは,14時頃。ちらほら片付けが始まっていました。私の実家のある町には、400年前からの路上市場がありますが,雰囲気は,それと同じ。他の店舗が無いこの地の方が、ずっと大きく,華やいではいますが。



同行していた井田氏,真っ先に駱駝肉の店へ。



これを後で料理してもらいました。私も,お相伴にあずかる事が出来ました。固めの牛肉に似ていました。

この夜は,お別れパーティー。テーブルの両側には男性陣。テーブル席が切れたところにござが敷かれ,女性陣。本来,この事業は女性のためのものなのに,と、違和感。文化の違いを肌で感じた一コマでした。
最後に,卒業証書をてにした主役の女性たちの正装です。



テーマは,持続させる事。
では,取りあえず、チャドを離れます。


 
| 未電化地域支援 | 14:23 | - | - | - | - | ↑PAGE TOP
砂漠のドライブ350k
2/15、では、砂漠の9時間のドライブの話をしましょう。前日は,早々と足止め。用意してもらった宿舎は,WFPのゲストハウス。何とかビールも確保し,同行したジャーナリストの井田氏とともに,飲んで寝ました。
翌朝は6時,護衛の兵士たちを待っている間の光景です。朝霧の中,日が上り,若者たちがサッカーに興じています。

脇で小麦粉と卵を上げた砂糖無しドーナッツ・団子、(ラムとか?) 美味しかったよ。

護衛の兵士は7人,話では周辺地域最強の兵隊だそうです。確かに大きくて,屈強そうです。トラックの荷台に乗って,先導してくれます。この日も,物珍しさに、やや舞い上がり気味になるところをぐっと押さえて。いざ出発。道はありません。前の先導車が残す轍がたより。


こんな光景ばかりが続くと思い気や,結構,木がある。家がある。どうしてここまで来たのかと思えるところにも,人がいる。牛飼いや、ロバに薪を乗せて歩いている。駱駝がいる。



駱駝を引き連れて,移動しているのです。映っている人ではありません。彼らは,兵士です。兵士は写真を撮るなと,止められていたのですが,恐る恐る撮っても良いかと尋ねると....後で,聞かねば良かったと後悔しました。止まるところ止まるところ,俺を取ってくれと、きりがない。これも,本当は,駱駝の民たちを撮影したかったのですが。民たちは,駱駝の背中に家財を乗せていました。

僕らを守ってくれた兵士の写真です。



写真になると,わざわざ肩章をつけて,ポーズをとります。左手にしているのは,水パイプ。

雨期には,砂の表層を雨水が流れ,道は,40から50センチ、至る所で削られています。車は,よけながら走ります。時には,川もあります。川も渡ります。




運転手のアブドゥ君、車酔いです。運転手って,酔わないんじゃなかったかなあ。彼に命を預けている手前,必死で,背後から肩をもみ続けました。
そんなこんなで,こっちはよっている暇もない。9時間,350kmの砂漠のドライブ,目的のティシには、15時30分に到着です。
最後の記念撮影。


この頃には,アブドゥ君,元気を取り戻していました。







 
| 未電化地域支援 | 17:57 | - | - | - | - | ↑PAGE TOP
チャド国内の移動1
チャドから戻って早くも一週間。どうにか体内時計も戻りつつあります。

報告を続けます。今回は,移動についてです。私の場合は,先人の人とは違い,時間が限られていたので,首都ンジャメナから現地ティシへの直行では無く,ダズ・ベーダと言う途中の町までflight、その後陸路(350km・9時間)となりました。国連の都合で26日,27日と延期続き,28日も空港で2時間待ち。人生とはこんなものだと,悟りの心境になります。


13人乗りの単発です。これを見たとたん,昔セスナ機で苦い経験を持つ私,すぐさまトラベルミンを飲みました。ところが...全く揺れません。しかも,眼下には、砂漠の光景。黒ずんだところに点在する集落らしきもの,川のような後,そして、こんな山もありました。飛行高度からして,200から300mはあると思われます。薬に起因する襲い来る眠気と必死に戦いながら,窓の外を眺めていました。飲むんじゃなかった!



飛行時間2時間くらい。ついた飛行場です。御覧のように,何も無い。



12時過ぎの到着。迎えてくれたのは,IOMのドライバー、アブドゥー君。
いざGo! と意気込んだ私に、「軍の指示により,今日はここまで。これから先は明日」まだ,12時だよ。そんなに危ないのか! 
この理由は,翌日の陸路篇報告の中で、解ります。
| 未電化地域支援 | 13:48 | - | - | - | - | ↑PAGE TOP