このところコロナで、密となる講習会が出来なくなっているからかなぁ。
でも、実現するといいなぁ。
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それでも季節はやってくる。
土と水と陽の光に、
静かなありがとうをこめて、
稲の苗箱を押し込む。
何千年も人がやってきたように。
]]>ニカラグアで手作り太陽電池の技術が、ちゃんと継続されていたとの連絡が、2019年10月に入っていました。
シングルマザーたちの仕事作りに伝えたものです。
自分たちで必要なものを自分たちで作っていく、そんな当たり前の生き方が、基準になる社会が一日でも早く、来ますように。
僕らも頑張らねば。
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このシステムは、小さな太陽電池でモバイルバッテリーを直接充電するものです。ここから携帯などの充電はもちろん、明かりなどにも使うことができます。
どのように使っていただけるのか、とても楽しみにしています。
国際協力NGO IV-Japan(埼玉県・ラオス)
AAA アジア&アフリカ(埼玉県・未定)
シェア(国際保健協力市民の会・東チモール)
NPO法人You&Meファミリー(埼玉県・バングラディシュ)
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しばらくぶりにインドネシアのジドアルジョで活動している理事の安部氏より連絡があった。ここでは天然ガスの採掘工事が失敗し、2006年以来ずっと熱泥流が吹き上げ続けている。すでに周辺の8か村が埋まり、沈殿池と地盤沈下の影響で計16か村25,000人が避難している。沈殿池の決壊を防ぐために、写真のように、近くの川に上澄みを放出しているという。安部氏は、ここの環境調査・健康被害の調査を主に行ってきた。
時々、安部氏からはなしは聞いていたが、とうに止まっているものとばかり思っていた。さすがに勢いは落ちているというが、今度は、地下の空洞化による地盤沈下が起きつつあるという。
ここは、東ジャワのスラバヤ近郊。中小企業の町であったが、多くの企業が移転して、残っているものたちは仕事を失っている。そこで、仕事づくりのために、養魚と水耕栽培を組み合わせたアクアポニックスの挑戦が始まった。写真がそのモデルプラント。
これが我々ソーラーネットがどう関わっていけるのか、お楽しみに。
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JANIC主催のSDG's勉強会に、3名で行きました。前もって上橋君が報告することが決まっていました。チャドでの手作り太陽光発電による電化と仕事おこしの話です。随分と練習して、実にいいブレゼンをしてくれました。30団体が集まる中、人気投票ではめでたく1位。
話の内容を主催者側で、絵でまとめてくれました。これ、なかなかいい。
お陰様で色々な方と話ができました。次につながるといいなあ。
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いわきの島村氏たちがもうすぐ震災支援で、ネパールに出発します。3.11で受けた支援のお返しも込めて、地震で被害を受けたネパールの村々への、ソーラー支援を中心にした「いわきお天道SUN企業組合」の活動です。島村氏たちとは手作り太陽電池などで、いろいろとつながりを持っています。今回は、エルガとソーラーネットの仲間が三人随行することになっています。合わせて10Wサイズの太陽電池を、20枚ほど持って行ってもらうことにしました。そのためのボランティア製作講習会を行いました。参加してくれたのは、10人。わざわざ東京から来てくれた方もいました。
まずは、ネパール支援活動の紹介がありました。私(桜井)も、ネパールの活動は詳しくは知らなかったのでいい勉強になりました。
そのあとは、いつもの製作講習会。作るというのは、ハマるんですね。みなさん、黙々と。
そして仕上がりの歓声。
自分の名前の入った太陽電池が、ネパールに届く。「そのうち、ネパールに行って確認したいな」という声も飛び出しました。太陽電池くんたち、頑張って活躍するのだぞ。
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8月5日に開催した、モバイルバッテリー充電用の10w太陽電池の製作講習会・第二回めを開きます。
前回好評だったので、もう一度、企画しました。世界に一つしかない自分の太陽電池、持ってみませんか。
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無事に出来上がって、笑顔で持って帰れるといいですね。
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なんとも、暑い毎日が続いております。お元気で、お過ごしでしょうか? エルガでは、クーラーもない中で、みんな、仕事をしております。周りの自然と、家の造りが、クーラーなし、を実現させているようです。
最近の風物詩です。
ひまわりは近くの河原に、1000本単位で、今年の春先、町内会総出で、植えたものです。今が、盛りです。小川町にいらした節は、足を運んでみてください。小川町角山の八幡神社の前です。
スイカは、私のところで取れた初物です。みんなで食べました。外仕事の後だったので、あっという間に口の中。うまかったです。
]]>このスタイルは、チャドの支援活動の中から生まれたものです。未電化地域の手軽な家庭用電源として、普及させたいと考えています。これからは、USBの電化製品がどんどん登場してきます。大きなシステムを持つことの出来難い途上国の、格好の自立の道具となると思います。もちろん、我が国でも、これひとつあれば、いざという時の備えとして、あるいは手軽な日常のマイ電源として、しっかりと活躍してくれること間違いなしです。
ぜひ、手作り太陽電池の楽しさ・可能性に触れてみてください。
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庭のかぶも何とか、太ってきた。ぬか漬けが待ち遠しい。
朝8時。放射濃度はcpmで、13。平常の値。
まずは安心。
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数値はcpm、1分間のカウントで20以下です。平常値でした。
今のところ、浪江の森林火災の影響はないようです。
今日は雨がふりましたが、降る前と降っている時で、数値は変わりませんでした。東西南北でも、大きな変動はないです。もちろん、外で測ってますよ。
新聞などによる報道を読み、小川町(埼玉県)の数値を久しぶりに調べて見ました。
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3/9と3/10は、ソーラーネットとしては初の試み、経営講座。きちんと学んで、しっかりとした組織運営をしてもらわねばなりません。まずは、外見から変えてみよう。経営者のスタイルをしてみました。
違う、違うよね。本当は、こんな講座。人生ゲームを変形した太陽電池製作経営ゲーム。変な太陽電池をこさえると、持ち金が、減ってくぞ!! 森君の発案。
文字を書いてみました。
講習会の最後に、参加者の一人から、「Tissiに帰ったらすぐ、みんなで賃金のリストをつくる」と言う台詞が飛び出しました。嬉しかったですね。
最終日、Tissiで我々とずっと一緒に動いていてくれたマルティンの家を訪問しました。赤ん坊を産んだばかり。となりの女性が、噂の藤村さん。彼女がこのプロジェクトを作り上げてくれた女史。
マルティンに話しかけているのは、「もう一人、お腹には残っていない?」????
マルティンは、産休を終えて5月から再び、Tissiに戻る。さあ、これから、だ。
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と、ほとんど同時に、IOMの藤村さんから、とんでもない連絡が飛び込んできました。彼女が、IOMチャドの所長とけんかして、辞める、いや、もう辞めたとのこと。チャドの事業に関しては、ほとんどが彼女の辣腕によっていたもの。彼女がいなくて、どうするんだ!!!! 気分はまるで、ジェットコースター。長旅の疲れがどっと出ましたね。
結局ザカリア氏とは、3/4, 大統領府近くの仕事用の自宅で再開することが出来ました。私が彼に提案した手作り太陽電池による電化事業の計画は、すでに大統領の指示で検討が始まっているとのこと。さてさて、砂漠にきれいな花を咲かせることが出来るかどうか。咲かせたいなあ。
手にしているのは見本で持って行った太陽電池。これではなくて、もっと立派なものを上げましょうと言うことで、一時間程で、分かれました。それが、前のブログにある写真。これを、帰国前に、彼の夫人に、女性たちとともに手渡すことが出来ました。
今回の滞在の間、政府関係であったのは、農林大臣、再生可能エネルギー機構(ADER)の長官、女性大臣、、、特に、国の計画の窓口となるADERとは、じっくりと話すことが出来ました。
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3/1、成田を発ち、翌日の昼には、チャドの砂の上に立っていました。今回は、女性週間にあわせた2回目の女性組合展示会への参加が目的です。行政関係との顔合わせ、打合せ、そして、前回判明したティシでの賃金問題による対立の推移を見定めること。2月の訪問と主眼はおおむね同じですが、大きく違うことが一つ。それは、費用。
IOMとの契約は、2/28で、切れました。したがって、この旅の費用は全てソーラーネット持ち。確かに物好きです。でも、私は、何かとんでもないことが起こりかけている、そんな予感がしていて、磁石に引かれるように、出かけて行きました。胸騒ぎの2週間でした。
女性週間は、3/1〜3/8まで続きます。その間ずっと、女性組合の展示ブースは続いていました。参加ブースは、全部で30くらい。日本でも良くあるテントの出店。でも、色はカラフル。かまどとか、手織りものとか、銀行とか。ご多分に漏れず、有機農業のブースも3つ程。下の写真は里芋。リッバだ。日本のものと、そっくり。女性組合は、やはり手作り太陽電池。売れるかなあ?
着いたその日にはもう、展示ブースは始まっていました。どうしても組合の状況が知りたくて、休むこと無く会場へ。同行の志士からは、かなりのブーイングが。でも、Tissiからやって来ていた彼女たちの顔を見たとたん、ほっとしました。対立していたお互いのメンバー4人が、ニコニコとで迎えてくれたから。賃金の問題は、トリアエズ解決したとのこと。大きな傷を残す前に、元のレールに戻れたようだ。彼女たちと一緒に過ごした二週間、そのことは肌で感じることは出来ました。
3/5、3/6 は、室内会場で若い指導者対象の技術研修。彼女たちは丸2ヵ月、製作現場から慣れていたのだから。実力の低下があるのか無いのか、こちらは興味津々。相手は緊張。結果は、上出来。
この太陽電池、チャドの大統領府に届けられることになります。その話は、この後に。
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さて、ティシは、大変な事になっていました。賃金を巡って、組合リーダー・IOM現地スタッフ(以下Rと表します)と、これまで製作と活動の実質をになって来た若手の女性達4人(Y4と表します)とが、対立し、Y4が女性センターに来ていない事態でした。12月末から2ヵ月続いているとの事。
今までY4達には5000セーファ、研修生たちには2500セーファを支払われていました。これを一律に2500にしたとの事。2500と言うと、日本で言う最低賃金のラインをかなり割り込んでいる水準でしょうか。5000だと、まあ子供を育てられる額かなあ。
技術指導者の手薄の中、Rたちは活動を維持するために400名の組合員に、太陽電池のつくり方研修を続けて来ました。確かに、出来上がった太陽電池の質は悪くなっています。
割れたものも転がっていました。展示会でも2枚製作した中の一枚は不良品でした。このままでは組合は自立のためのビジネスを開始する前に、内部金を食いつぶして解散してしまうでしょう。
この日から、ティシを離れる前日2/8日の夜まで、IOM現地スタッフで女性組合の担当のアハマッド氏と、ずうっと議論が続きます。Rの主張は「Y4は全員に技術を教える義務があり、賃金は平等で良い。仕事がしたかったら、Y4が来るならば拒む事は無い」かたやY4は、「自分たちの技術をきちんと認めて欲しい。2500では子供も育てられない。自分たちは仕事がしたい」です。事業を展開する上で常につきまとう典型的な労使問題ですね。また、緊急支援事業として始まったこの事業が、自立・持続を目指す事業に切り替わる、ちょうどそのど真ん中にいると言う事ですね。緊急支援は平等の分配が、是です。しかし、それでは、ビジネス事業は出来ません。女性組合が、どちらに行くのか、問われていると言えます。
ところで、女性組合のビジネスチャンスはとても大きなものになりつつあります。この事に組合のリーダーたちも、Y4のメンバーも気づいていませんでした。
充電ビジネスは大成功していました。太陽電池の発電で携帯を充電するビジネスです。一日50件、100セーファ/回の料金を取っています。
これは、そのまま太陽電池システムの販売につながります。100×50×365でいくらになるのか、計算してもらいました。180万セーファになります。この数字に、リーダーたちはかなり衝撃を受けたようです。近隣の集落にこのシステムは、かなりの台数販売出来ると言う事です。この他にも、いくつものビジネスの話をしました。私も、話しながら、自分は詐欺師になのかなあ、と自問自答。
また、IOMが支援を切り上げた後の動きは、IOMチャドを中心に着々と進められていて、それなりの政府機関の支援が期待出来る状況になりつつあります。
要は女性組合は、自立・持続のための仕事をやるつもりならば、かなりのチャンスがあると言う事です。そのための組織に切り替わらねばならないと言う事です。
組合のリーダーたちへのビジネスの話の後、Y4のメンバーに会いに行きました。事情聴取と言えば聞こえは良いですが、懐かしい面々のご尊顔を拝したくて、出かけました。3人集まりました。みんな、赤ん坊づれです。旦那も顔を出すなかなか、いい雰囲気でしたよ。
さて、ずっと継続していたアハマッド君との討論についてです。
どうやら、彼が、賃金平等論の発信地のようでした。かたくなに、400名の組合員の支払は、等しくなければならない、を繰り返します。支援事業を遂行するには正しいのでしょうが、それでは現実的に組合は消滅します。ポリシーに自分の生き方を定めるのは美しい事かもしれませんが、それにより、豊かな夢や希望、現実が削ぎ落とされて行く。どこの国にも、いますよね、このタイプ。
最後の最後、イスラムのお祈りの後、ようやく、Y4とRとの間を取り持つ事を約束してくれました。
いやあ、のどがからからでした。ゴメイサツ。ビールがうまかったですよ。
3月始めの展示会に我々が、自腹を切ってでもンジャメナに行く価値があるや無しや。この後の事に関しては、又これから報告になりますね。
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予定通りと言うか、案の定、準備は何もできていず、担当のアルハッジ君だけがバタバタしていました。彼,全部自分で背負い込んでしまうまじめなタイプなんです。私たちが行ってから、ビラ作り、資料作り、会場予約、案内状配り、、、2日間でも、結局2/3の午前中の一回がメインでした。前日は、人も来ずに、予行練習が出来て、結果的に良かったです。
ティシからは組合のリーダーおばさんたちが姿を見せ、技術担当は、来日メンバーのファーティマだけでした。他の指導員たちは? と聞くと、来れないとの返事。その時は、旦那が出してくれなかったんだろうと、納得しました。しかし、実は背後で大変な事態が進行していたのです。この事は、後ほど。
来客は外部からは10名程度だったでしょう。それでも、2日前に案内状を受け取って来る人達、非常に熱心で、それなりに権限のある人達が集まりました。日本で言えばJICAにあたる再生可能機構や、女性省の役人、そしてカメルーン日本大使館の水野さん(大使館の無いチャドはカメルーンの管轄です)などなど。
女性たちが太陽電池を仕事づくりを目指して製作する、皆さんも、とてもインパクトがあったようで、3月始めの女性の日に、もう一度展示会を開催する方向で、動き出しました。もし、実現すると、その時は、女性組合に取っても、手作り太陽電池に取っても、そしてチャドのエネルギー政策にとっても、大きな転換点になりそうです。
水野さんには、私がティシに飛ぶ前日の2/5の夜まで、私とザカリア氏との間を色々と調整して頂きました。情報が入る度に、持って行った背広を用意したり、又片付けたり。ジェットコースターに乗っている気分。
そして、その気分は、ティシで最高潮に達します。
この話は、次で。
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ちなみに、私、吊るしを持っていなかったので、この時のために大枚をはたいて、ハジメテ、背広と言うものを着用しました。礼服位は持ってますが。もちろん、帝国ホテルも、始めて。
]]>キレットでは、街灯修理。太陽電池の不具合と思っていたが、バッテリーもダメになっているようだ。これから先は、もしどうしても必要ならば、キレットの皆さん、お金を集めて、女性組合に修理を依頼して下さい。
ドライバーのヒッセン氏、井戸の補修を始めていた。
井戸はどこでも貴重だ。しかし、残念ながら水は上がって来なかった。どうやら、どこかでエアをかんでいる。修理は又にして、僕らの旅の先を進める。
昼飯は、途中の町。来る時と違って、沢山の人。どうやら、マルシェの日に当たったようだ。
おばさんが焼いているのはそば粉のクレープ。ハベテの作業は素手。熱くないのかなあ。
ここに来て、ようやく、ショートメールが回復した。僕らは、予定通りに戻っているよ。
しかし、一難さって又一難。ゴズベーダーにつくと、僕らの乗るはずの明朝フライトの予約名がない!!! 慌てて、ンジャメナIOMオフィスに。この町に到着した時間が、まだ18時だったのが、不幸中の幸い。どうにか、予約名のない事を報告する事だけは出来た。さてどうなるのか。ビールを飲んで寝よう。
朝、宿舎の庭にきれいな花が咲いていました。あまり花の姿を見かけないので、この赤い色がとても新鮮でした。
どうやら、僕らは飛行機に潜り込めたとの知らせ。ほっと一息。
皆さん、お疲れさまでした。
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そして、価格決定。各部材の原価を伝えて、積算して行く。すると、かなり高い物になってしまう。彼女たち、明らかに落胆の気配。商品は、仕入れる量によって値段は大きく変わる。輸送料も、全く違う。そうした説明を入れる。女性組合は、今立ち上げの力を付ける時期なのだから、原価にこだわる必要はない。売って、自分たちの手でお金を稼ぐ、その体験を積み上げる事に重点を置いて欲しい、等等と説明。しかし、なかなか落胆の気配から脱する様子が見られない。
それでも、ミニSHSの3種類の売価を決めようと言うことになり、ここからは、もう通訳も入れない。アラビックで、ケンケンガクガクの議論が始まる。
そのうち、プイッと、司会をしていたアハマッド氏がいなくなる。ああ、決まらないのかなあ、とこちらの気持ちは真っ暗くら。
間もなく、戻って来たと思うとも、机に並んだ3つの種類の商品を手に、右に左に。その度に、女性たとは、大声や、笑い声。ウーーン、なんか、上手くいきそう。後で聞くと、彼,ロールプレイ、を仕掛けたらしい。自分が客になり、交渉のやり取り。
最終的に、原価とそれほど大きなずれのない価格に落ち着いた。やれやれ。
会議が終わって、おばさんの一人が、僕にほほを寄せてくれたのには、感動しました。よほど、嬉しかったんだろうね。
これから、しっかり稼ぐんだよ。
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みんな、これだけ取れるとは思わなかったとの事、来年は、全部に植えると大はりきり。こちらも嬉しくなってします。でも、
曲りなりにも小生も、米をつくっている。一言くらいは、いいかなあ。若月米、水の管理があまり良くなかったのか、緑のママのところと、稔ったものとの混在となっていた。もう少し、出穂の時期の水が欲しいところだ。
収穫した稲は、小屋に収納。ネズミの被害は今のところないとの事。300kgの籾での収穫。籾摺は、近々すると言う。おいしいお米、おめでとう。ちなみに、この小屋には、ごまも保存されていた。
]]>講師は、急遽ヒッセン氏になってもらって、コントローラーって何? 直列・並列接続って何? 最後に、バックアップシステムとDC12Vの冷蔵庫。冷蔵庫は、みんな興味津々。
次は、例のダイオード入の端子ボックスの扱いについて。これも説明はなかなか工夫がいる。ダイオードって何? から,解きほぐすのだから。彼女たちの傾向として、原理を話すよりも、ここはこうして、と話す方がずっとのりが良い。でも、理解してもらわないとなあ、と思いつつも、つい安易な説明に走ってしまいがちになる。講習会の時間よりも、修理する時の方が、彼女たち、とても生き生きすると言うのが、本当のところ。
12/3
この日は最大の山場となった。朝、在庫チェックのために、オフィスの倉庫の棚から品物を降ろしていると、マルティンが飛んで来た。女性組合の所有では無いと言う。事前の打ち合わせはしておいたのだが、いざ動き出してみると、ことに大きさに驚いたようだ。こちらも、在庫の過不足をきちんと把握する練習を女性組合のメンバーにしてもらうこてが目的で、所有権の移動を目的としたものではなかったので、面食らったことも事実。よく考えてみると、確かに微妙な部分に、ずかずかと入り込んでしまったのは、思慮不足。とはいえ、こちらの目的をきちんと伝えねばならない。
結局、事は私の思いを越えて、手作り太陽電池関連の部材は、女性組合に、その応用資機材は、IOMというおおざっぱな線引きで、所有権の問題は、決着。めでたしめでたし。
リストに名前と数を書き上げて行く。大事な資料になる。
オフィスから、女性組合の倉庫へ、品物を運ぶ時の彼女たちの嬉しそうな様子。頭に箱を乗せて、実にうまく運ぶ。子供の頃からのバランス感覚。うまいうまい。
この日は、もう一つ通訳の上橋君が、冷蔵庫を使ってのシャーベット講習会を、余興でやりました。かなり固まったけれど、完全なシャーベットには、なりませんでした。
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これは、ゲストハウスの庭に植えられているトマト。実は小さくて、それほど甘くはない。このあたりも、改良すれば、沢山うまい物が出来そうだ。昼の食事は、昼はオフィスの隣りのおばさんがつくってくれるチャド食。トマト味がベースのスパゲッティとか、パン、米。時には、鶏の丸焼き。
チャドの夕日。河の向こうは、中央アフリカ。
夕暮れになると、ぼくらは、ガソリンコンロでお湯を沸かして、夕食の支度に入る。キャンプ用品。これはとても重宝しました。小峯さんが持って来てくれました。ガソリンは、実はどこでも手に入るんです。ペットボトルで。
食事はアルファ米、フリーズドライ、レトルト等等。めいめいかなり選び込んでこの地に持って来ていました。小生だけが、簡単なアルファ米のセットとスープだけ。カツ煮とか、ハンバーグとか、実にうまそう。生来口の汚い私としては、他人の食い物がうまく見えて仕方ない。おねだりして、わけてもらいました。何よりも、そこで食わせてもらったラーメンのうまかったこと。私は帰国後、まず最初にラーメンを食べるのが習いだったけれど、今回は、その必要はありませんでした。絶品のラーメンでした。インスタントではありませんよ。
食事が出来るまでの間のビール、これ又最高。ガーラと言う国産ビール。砂漠で飲む冷えたビール、こたえられません。
]]>セルと言えば、小型太陽電池は5インチを8分割した物を利用していました。4.5w程の出力です。これを現在主流の6インチセルの8分割に代えた物を持って行きました。出力は9Wに倍増します。しかも、価格はほとんど変わらない。むしろ安い。写真が、新型のミニSHS用の太陽電池です。
ところで、この青い服、IOMのカラーです。女性陣もテレビ出演(最近取材が入ったそうです。でも、彼ら自身は映像が見られない)にあわせて、あつらえた物でしょう。とてもきれいな制服。
ここで、一人紹介しておきます。アハマッド君。
IOMのスタッフ。チャドの北部の生まれです。ティシに来て1年め。現在は女性組合の担当として、我々とともに動いてくれました。彼,人をまとめて引っ張って行く能力と、事態を把握する力、この国を良くしたいと言う使命感が備わっている。こうした人材が今後の女性組合には絶対に必要となる。最後の最後、商品の価格決定の時に、彼の能力が遺憾なく発揮されるのだが、その話しは、後ほど。良い人材と出会って、とても嬉しい。
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そして、彼女たちの手先は、なかなかのものだ。
こんなことも教えた。初めはおっかなびっくりのドリル仕事。
11/29は、組合のリーダーたちに、流通の流れを、説明した。しかし、リーダーと言っても、年功序列。実際に動かしいるのは、上の写真のメンバーたち。彼女らへの説明も、後ほどしなければならない。それでも、最初のにおばさんたちに説明しなければならない。結構、順番には気を使う。
資材が届くのは、発注が決まってから、何か月もかかるよ。支払はUSDだよ、物がついたら、首都ンジャメナで検品するんだよ......
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人々の我々に対する対応が柔らかく感じる。あちこちから声がかかり、挨拶が飛んでくる。ここに関わって3年。平和が続いているせいか。
この日は、DCの冷蔵庫を設置し、ラミネーターのパッキンの固まり具合を確認の上、その両サイドにシリコンで土手をつくった。3寺には仕事を切り上げ、早々とビール。次第に夜の色に変わって行く赤い空を見ながら、心地よい風にあたる。
]]>オフィスのバックアップシステムを施工しているボーイズのグループから、事件発生のニュース。女性組合のベテラン製作員たちのつくった太陽電池の出力がでないと言うのだ......原因はすぐに解った。太陽電池の後のジョイントBOXが、これまでのものと違うのだ。わたしが、今後のことを考えて前もって入れておいたバイパスダイオードのあるタイプ。市場ではこのタイプが一般的だが、値が張るので、これまではダイオードのないタイプで指導していた。今回の訪問では、そのやり方を教える計画もあった。しかし、彼らはすでに使用していた! なぜ? 答えは、これまでのジョイントBOXを固定するシリコンが無くなっていたからとのこと。ダイオードタイプの裏側には、両面テープが張ってあったのだ。それで、彼らは新しいBoxを使ったのだ。このタイプ、取付の仕方により、出力が出なくなる。
製作した枚数は、どのくらいあるのだろう......きけば、つい先日、首都ンジャメナのIOMに35枚、送ったばかりだと言う。
とりあえず、ボーイズたちには治し方を伝えて、設置作業を進めてもらうことにする。
取付け方法を教えなかった我々の責任でもある。しかし、問題は、もっと根が深い。彼らは製作したものの製品検査を行なっていない!!!! うーんんん、と、唸ってしまった一瞬である。
それでも、オフィスのバックアップシステムは、無事に完成した。
これで彼らは、冷蔵庫を使い、テレビを見る?!?!?!???
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2016年の一月の訪問直後、ラミネーター一台が使えなくなっていた。推測通り、ヒューズが切れていたので、それを交換。と同時に、今回の訪チャドの一つの大きな目的の一つである新素材のシリコンパッキンへの交換を行なう。このラミネーターが使えるのは、多分、帰国の頃になる。と言うのは、この国の極端に強い乾燥のためである。ラミネーターのボディとパッキンを接合させるには、シリコンを使う。シリコンは空気中の湿気で固まる。乾燥地帯のチャドでは、なかなか固まってくれない。そのためもあってか、パッキンが日本と比べて変形し易い。新素材と新しい接着剤を使っての作業となった。こんなことがノウハウになるのだね。
もう一チームは、ボーイズたちへのバックアップシステムの授業。今回初参加の小峯氏の出番である。バックアップシステムは、本事業の柱の70wの太陽電池を大量に使用する。いずれ、女性組合の柱の事業になるはずのもの。しかし、それだけ危険がある。素人が手を出すには、あまりに危ない。チャドの電気工事士アランとリンにも、加わってもらった理由である。安全性と、もう一つ、バッテリーの管理についての、みっちりした講義を、小峯先生は、披露してくれた。電気工事士同士、言葉が通じなくても、見れば技量がわかるのだろう。アランとリンは、すっかり彼を先生扱い。ダメネ!を連発したようで、最後には、小峯と呼ばれずに、ダメネと、呼ばれていたけれど。
女性組合に対しては、まずは、今回の講習のために彼らが購入した資材の点検をしてもらう。実は、このことは、とても大きな第一歩なのだ。これまではIOMの資金で資機材は購入され、支援として、彼女たちは受け取っていた。今回から、彼女たち自身の資金で購入したのだ。その点検を教えると言うのは、ソーラーネットとしても、技術支援から自立支援へと、一歩踏み出したことを意味する。と言っても、必要資材や支払など、自分たちで実行した訳ではないので、まずは、ほんの一ステップと言うべきか。
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途中の町では、携帯の充電屋さん。太陽電池が入っていました。この国もものすごい勢いで、電子化が進んでいました。後ほど経験したのですが、携帯でお金のやり取りをしているのです。本では読んでいましたが、自分たちが実際にやるとは考えてもいませんでした。携帯は必需品になっていますね。
前回は、乾期のまっただ中、すべてが砂の色でした。薪になる枯れ木が道ばたに重なっているくらいで、緑はほとんど見えませんでした。所々にぽつんとあるほったて小屋の意味が解らずに首を傾げていました。今回は、雨期が終わり、乾期の入り口です。ようやく小屋の意味が分かりました。見渡す限り雑穀の畑です。その作業小屋だったのです。多分、10時間250kmの道中、1/3くらいは、人の手の入った畑です。雑穀は、実りの時期を迎え、働いている大勢の人達を見ました。ほっとしました。穂を刈り取り、茎は家畜が食べます。駱駝さんも、牛さんも、やぎさんも、沢山いました。
この日は、やはり野宿になりました。お昼頃にゴズベーダーを離れたのです。途中エンストした車に関わったりしていましたから、到着するはずもありません。それでも、どうにかIOM支援事業の域内の村、ティシから70kmの村までたどり着いていました。これは助かりました。というのは、私と電気屋さんの小峯氏、年よりだけに、簡易のベットと毛布を出してくれたからです。若者2人はゴザの上です。兵士たちは手慣れたもの、すぐに火をおこし、テントを立てて、食事に入ります。ンジャメナからの2人の電気工事士、アランとリンも、要領よく毛布らしきものを取り出して眠りの準備です。
私は、少し甘く見ていました。ンジャメナでは夜冷えると言っても、長袖を着ればしのげる程度の寒さでした。沢山長袖は用意していたので、若者2人に毛布を渡しました。ベットの下敷きになっているカーペットらしきもので充分と判断したからです。しかし、砂漠の夜は、どんどんと冷えて行きます。月と星は、輝きを増して行きます。真夜中過ぎ、がたがたと震える体に慌てて重ね着をします。それでも、寒い。まずい、風邪ひくなあ。と覚悟しましたが、体が日本の冬型になっているせいか、しのぐことが出来ました。
支援で立てた街頭が、2時頃にはうすぼんやり。どうやらバッテリーの電圧が足りない。太陽電池か、バッテリーの劣化か。一宿の恩義、翌朝点検。太陽電池の端子が焼けていたので、太陽電池からの電気がうまく流れていないと判断。
]]>とても沢山、お話ししたいことがあるので、何日かにわけて、報告します。
チャドは、ビザが事前に取れません。チャドの国に入って申請し、3日後に発行されます。それから目的地への移動となります。僕らの目的地は、ティシ、中央アフリカとスーダンとの国境にある辺境の地です。今まではティシには国境なき医師団やUNICEFがいて、ティシへの国連機は、週に二回ありました。今は、この二つの団体、地域の安定とともに撤退しています。週に一度、それも、場合により飛ばないこともあります。それで、今回はゴズベーダまでフライト、そこからティシまでは陸路、10時間250km、ランドクルーザーでの移動です。例により、軍隊の護衛つきです。
首都にいる間、国連のIDカードの取得とか、荷物が壊れないように、再梱包等の陸路に備えての準備です。国連のIDカードは、今回、とても役に立ちました。空港でのチェックがとても楽になります。水戸のご印籠、そのものです。
写真は、荷物の再梱包のために、ベニヤ板を捜している最中(ここでは、ベニヤ板一枚捜すのも、結構大変です)に見つけた畑です。バクチョイに似た葉ものと、トウモロコシを作っていました。大豆かなとも思える枝もありました。水があるところ、小さな畑を農夫が一生懸命に耕していました。そこへ、奥さんと、赤ちゃんがやって来て、戯れる。とても良いシーンに出会いました。
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文字通りの師走。講師陣、右に左に駆け回る。反省会の時に、サッカーの試合みたいだったの越えも上がりました。持ち帰りのミニSHS、熊本の支援でも提供したもので、東海沖地震の備えにぴったり。子供より、私の方が嬉しい、とおっしゃったお母さんもいました。アフリカにも持って行くと言う強者も。
充実の講座でした。
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]]>
このついでに、いわきの豊間地区に行きました。3.11の後、セフセンイレブンを中心に、太陽光発電のシステム支援をした所です。セブンイレブンは残っていましたが、その周辺は生活することはできない地区になっていて、すっかり変わっていました。初めは全くわかりませんでした。
当時、下の写真の電柱の右側には、大きなゴジラがいました。ゴジラを覚えている人は結構いて、その行く末を確かめることができました。どこかの病院で、人気者になっているとか。
この間の三陸でも感じましたが、住民の方々の対応の仕方が、非常に丁寧でありながら、フレンドリーな感じで、気持ちの良いものでした。皆さん、キット、それなりの大きな体験を積んでいらしたのでしょう。
海岸は、高い堤防と、その工事車両だけが行き来しています。工事が終われば、寂しい場所になるのでしょうね。
桜井
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ご苦労様でした。
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熊本は、今まさに大雨の最中。被害が拡大しないことをお祈り致します。
自動車屋さんでのSHSの全体像です。ボランティアさんたちの携帯の充電が主な仕事とのことです。
南阿蘇の家が半壊になり、テント暮らしをしているお宅に取付けられました。なかなか人気を博しているとのこと。良かったです。
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15日は、南三陸の戸倉です。ここは、5年前、戸倉の中学校の先生が、津波の惨状を話してくれた所です。写真の右上から津波は来ました。その浪自体は学校の下の高さでした。内陸に入り高さを上げた浪は、その様子を見ている人々の背後から、一気に襲いかかったそうです。学校は、公民館になるとのことで、改修工事をしていました。残念ながら、先生からお話を聞いた場所へは入ることが許されませんでした。
この日は、ごく初期の支援先だった津の宮荘に、泊めてもらいました。太陽電池は今でも、お客さんの形態の充電に使われていました。バッテリーもしっかりしていました。太陽電池、ここだけでは無く、どこでも、しっかりと使われていました。嬉しいです。
美味しい魚料理、頂きマーーーした。有難うございます。おばさん、元気でした。
翌日は、尾崎の三條造船です。ここは、居住不可地区になっていました。漁師さん達は、復興住宅から通って来ます。電気は2年前に復旧していますが、太陽電池はどこも、生きています。
三條造船所さんは、電気の来ない間にも、大船5艘の他、少し小さな船をたくさん、漁師さんのために作っていました。太陽電池でクレーンが動いた時は、私も、ウルウルしてしまったのを思い出します。太陽電池のサイズは、2.34KWですよ。わずか。でも、バッテリーは、さすがに死んでいました。お金がなくて、5年落ちのものを支援させてもらいましたから。バッテリーは、全て回収し、再生させます。三條さんの所は、代わりに、連系に切替えます。
大川小学校で今でも、太陽電池は働いていました。ちなみに、尾崎は、大川小学校よりさらに海側です。
最後に、昨日18日、田植えの打上げで、尾崎の大きな牡蠣を炭で焼いて、みんなで頂きました。
有難うございます。
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